10年も前に突然起きた母親の死

 

はじめまして。

私は普段イラストを描いております。

 

どうせならイラスト付きの物を、ブログに出そうかと思ったのですが

その前に整理するためにも、このブログに記事を残そうかと思います。

 

さて、私が12歳の頃に母は亡くなりました。

死因は、くも膜下出血と言われるものです。

致死率の高い病気で、脳にあるくも膜という部分の下で血管が出血することで起こります。

 

それは、冬の寒い日。

私は学校の始業式で、小学生最後の3学期を楽しみにしていました。

学校の始業式が終わった後の教室で、珍しくできた口の中の口内炎に不快感を覚え、

舌でいじり破裂したのを今でも妙に覚えています。

そんな些細なことまで、その日一日が忘れられない日になるとは、その時はまだ思っていませんでした。

 

学校に帰った後の一日は穏やかでした。母にその日あった事を話し、始業式の時に無理心中をした一家のために黙とうをした話をしました。今思えば何の因果なのかわかりません。それを話した時の、母親の深刻そうな顔も覚えています。

 

その後母は、当時パートでジムのインストラクターの仕事をしていたのですが、仕事が疲れたからこれでいい?ということでコンロで加熱すればできる、うどんだったかを火にかけていました。

 

そこでインターホンの音が鳴り、母は特に何も特に何も上着をはおらず、外に出ていきました。

 

その後のことでした。外から知らない女の人の叫び声が聞こえ、異常を感じ外に出ると、母が玄関先の土の上に倒れていました。

「早く救急車呼んで!!」

と叫ぶ女性に、何が何だか分からないながらも、慌てて家にある電話の子機を探しました。肝心な時にいつも置いてある場所になく、二階にあるFAX付きの本機のほうに走りました。叫びながら、知らない女性にどうゆう状況なのかだとか、呼吸はしてるのかとか聞いても相手もパニックになっているので、救急の電話も

「母が倒れて・・・住所は○○・・・とにかく早く来てください!」としか私は言えませんでした。

 

そのあとは女性は帰り、私は異変を感じた飼っている犬二匹を落ちつけながら玄関は開けっ放しのまま。当時、母と父と父方の祖母と一緒に暮らしており、その時祖母はスーパーに買い物に行っており、私は一人と犬二匹と共に救急車を待っていました。

 

何分待ったのかとか、そういったことはもう全くわからなかったですし、妙に長く感じました。

 

救急車が来たタイミングとほぼ同時ぐらいに祖母が帰ってきました。

私は祖母の顔を見た時安心し、ボロボロ泣いてしまいました。

その後も不安で終始泣いていました。

 

貧血だよきっとと、祖母が窘めていましたが。

12歳でしたし、これがどれほどの異常かだとか、感覚で分かっていました。

 

病院についても、病院の廊下を泣きながらうろうろし、遅く帰ってきた父の顔を見て更にボロボロないて、不安で不安で。きっとこれはTVのドッキリで・・・後でネタバレがくるんじゃないかなんて言うのを本気で考えていました。

 

何時間待ったのかとか、泣きすぎてわからなかったころ、持病はあったかとかも聞かれましたが、私が知っている限りでは無かったとしか言えませんでした。

 

そして手を尽くしたが駄目だったと。

 

その後に手術室に呼ばれ、TVなんかで見る、ピッピッとなる心電図。

これが止まると、ご臨終になると。

 

何時何分、ご臨終です。なんて本当そこまでTVそのままで。

その時やっと母の手を握りました。それまでは妙に怖かった。どうしても。

 

その後はいとこの母親と、いとこと一緒に泣きながら家に帰り、

倦怠感に襲われながら、夢であって欲しいとばかり思いながら

ベットで横になっていると気づいたら眠りについていました。

 

次の日に起きて思ったことが、夢であって欲しいでした。

けれども、自分の部屋の入口に和室の襖が立てかけられて、普段と違うことが明らかで、夢ではなかったと、TVのドッキリでもなかったと、自覚させられました。

 

その後、和室に置かれた氷のように冷たくなった母の元へまた泣きながら、隣で座ってずっと泣いていました。今でも鮮明に思い出す、硬くて冷たい死体の冷たさ。

一生忘れないでしょう。